「ゾウの思い出」



「大阪Palm III」5年間の歴史の中で、
一番良かったと思う企画、記事、出来事は何ですか?
あなたの「思い出」、教えてください。


・・・・と、募集したところ、いろいろな「思い出」の投稿をいただいた。
ここに紹介したいと思います。

みなさん、ありがとう!




kazcさん


2002/8/17、18日の更新

  とりあえず、名古屋で迎撃させていただいたときに、
食った、ひつまぶしは、涙が出るほどうまかったです。
(誇張してます(゜°)☆\(^^;)バキッ)

  ココが一番残ってますが、NASさんとは、ゲームについてはあまりお話できてないのが、残念です。



<コメント>

Palmゲーマーの一人として有名なkazcさんには
名古屋に行ったときお世話になりました。

ゲームのことをあまり語らなかったのはなぜかというと、
ライバルだからです。(+_+)\バキッ

ゲーマーたる者、軽々しく自分から語ってはいけません。
(ほんまか?)




Kohyanさん



エイプリルフール企画に毎回騙されているのは内緒です。
去年はあんまりPUGO内部の事が判らなかったから、

「あ、NASさんって、Lica姐さんと一緒になったんだぁ(爆弾発言)」

なんて思ってたぐらいですから。
エープリルフールと気づいてあちこちのサイトを回っていたのも内緒ですが。

ちなみに今年、エープリルフールと知りながら盆地を開いたと勘違いして何度も大阪PalmIIIをお気に入りから開いていたのも絶対に内緒なんですってば(^-^;;



<コメント>

なんちゅうことを言うとんねん・・・>爆弾発言
  んなわけありません(笑)。

  もしそうなら、今年は私がちんさんとつきあってることになるんかい!
(うっ、ちょっと想像してしまい吐き気が・・・)
 
  ということは2000年ふふふさんとラブラブだったことになる・・・
ぱたっ(また想像してしまい寒気を感じて倒れる)。

 


ふふふさん


「NAS芹沢の Palm III」の中にある、「Palmware」

毎年行なわれるエープリルフール特集も印象深いんですが、(大阪ふふふPalmとか)やはり一番思い出に残っているというか、お世話になったというか、Palmを買ったばかりで、どんなソフトを入れようか悩んでいたとき、すごく参考にさせていただいたのが今でも印象が一番深いです。

たしかこの記事を読んで大阪PalmIIIファンになり、初メールしたことも今となっては良い思いでです。

蛇足かもしれませんが、次点はコレです。
風邪で会社を長く休んだとき、すんごくお世話になりました。



<コメント>

なんやかんや言っていたら、本当にふふふさんからの投稿だ。

「NAS芹沢の Palm III」は、おかげさまで大人気となった
PalmゲームカタログPalmツールカタログの原型になった
ソフトの紹介コーナーです。

更新が1999年6月で止まっているので、その当時私がPalm IIIに
何をインストールして使っていたかがリアルにわかります。
懐かしいゾウ。

PocketRogueのレビューは、今でもこのサイトで
あれほど力を入れて書いた作品はありません。

ふふふさんを風邪から救ったソフトとして、
後世に語り継がれるでしょう。(ほんまか?)




ルッキーさん


どの回ということではないのですが….
毎回の中古品情報が役に立っています.
相場をチェックするのに利用しています.
(中古Palmを捕獲し,いじり倒すことでストレスを発散しているので…)



<コメント>

ルッキーさん、ありがとうございます。

実は、最近サーチエンジンで「Palm」と「中古」で検索して
うちのサイトに来る方が非常に増えているんですよ。

その傾向が出始めてから、なるべくパソコンショップに行ったら
情報を書くようにしています。

今後ともよろしくお願いいたします。




f-hiroさん


思い出に残る更新は、何と言っても「瓜生石」でしょう

自分がかかわったということもありますが
関西を離れる前の自分自身の思い出としても忘れられないものです




Photo by f-hiro

Photo by f-hiro

Photo by f-hiro

<コメント>

懐かしいゾウ。

「瓜生石」とは、京都の知恩院(ちおんいん)にある石のことです。

「瓜生」という名前が付いているということで、

「この石はジャンケンをするのでは?」
「場を仕切る石ではないか?」
「突っ込みに行くとご利益がある」

などの噂が流れました(ほんまかいな)。

というのはPalm界の冗談で、本当は伝説の石なのです

f-hiroさんが写真を送ってくださったので、
大阪Palm IIIでスクープとしてしばらくの間
ディザー広告(笑)っぽく紹介しました。

PUGOでも、その存在が紹介されました。
第33回定例会の写真レポートに載っています。

にしても、車道の真ん中にあるのがすごい>瓜生石

この件だけでなく、f-hiroさんにはお世話になりました。
関西を離れられてからお会いできていませんが、またよろしくです!




impresさん


2001.04.26 パームツールカタログ開始



<コメント>

impresさん、ありがとうございます。

ゲーム系サイト(?)ということで、どうしてもPalmゲームカタログ
取り上げられることが多い大阪Palm IIIですが、
Palmツールカタログが参考になります、というメールも実は結構多いのです。

なかなか頻繁に更新できていないので申し訳ないのですが、
基本的なソフトは全部押さえるべく、どこのサイトでも紹介されていないソフトも
これからも増やしいていきたいと思っています。

今後ともよろしくお願いするゾウ。




buggy!さん


思い出に残っているというか、大阪Palm IIIつながりで出来た友人があの「ま」さんだったり、「#104」さんだったりしてPalmで友達が増えた!
というのが1番に感謝したい事です。

その後色々事情があって自サイト閉鎖したり、虎の子NX70Vを手放したり色々ありましたが、時間があれば必ずチェックさせていただいてます。

でもやっぱり忙しくて出来た友達にろくに合える時間がないというのが寂しい限りです。

何とか時間を作って生ゾウ氏にお会いしたい・・・と言うのが本音ですが。

趣旨が外れてしまいましたが、思い出のページ
やっぱエイプリルフールの大阪パームボンチです。

私の場合iSiloでHPを巡回してCLIEで仕事の合間に読むというスタイルを取っていたのですが、大阪Palm IIIを表示させた時にパームボンチの画面が出てきて「?」と。
設定はいじっていないし、おかし〜な〜とか読み進んでいる内に、そうか、4/1だったのね。と。ちょっとだけ焦りました。

これからも楽しいゲームレビューとトリッキーな企画を期待しております!



<コメント>

お次はbuggy!さんからです、ほんとに感謝。

私もPalmを通じて友達たくさんできたゾウ。
人と人とをつなぐ、不思議な機械です>Palm

2003年エイプリルフールの大阪パームボンチですが、
ちんさんに許可していただいたおかげです。

ちんさんには、こんなん出来ましたといって3月末に先に
見ていただいたのですが、本当に自分のサイトがハックされたような
衝撃を受けたようでした(笑)。
今年はこれで自信を深めました。

どうしてここまでエイプリルフールに力を入れるかというと、
昔、パーム航空に思いっきりだまされたことがあるからです。
少しでも機長に復習・・・じゃない、復讐しようとしているのです。

来年の4月も期待していてください。
その頃誰とつきあっているかで決まりますが(←違うだろ)。




ミノ吉さん


2001/08/06
「大阪Palm III」3周年記念ソフトとしてPCCM Hi and Low が公開開始されたこと
3周年の記念も思い出に残りますが、このソフトは、はまりにはまって、いまだに愛用しています。



<コメント>

ミノ吉さん、ありがとうございます。

「PCCM Hi and Low」は、いつかソフトを作りたい、
と思っていた矢先に作り始めたら一気に完成してしまいました。
(一応、本業はプログラムも組むSEです。
今は営業系SEなのでプログラミングしませんが)

SekoさんのGCC環境構築の仕方と
プログラム講座がなければこのゲームは完成しませんでした。
感謝しています。

そろそろ、新しいバージョンを公開できるかも、できないかも。
(どっちやねん)




fumi16さん


今までで一番印象に残っている更新は、「ゲーコン」についてです。

僕はNR70Vを使っているのですが、ボタンがしょぼすぎで、全くゲームなどできるマシンではありません。
そんな時、大阪PalmIIIに「ゲーコン」についてのレビューが載っていて、一目惚れ、さらに詳しい対応表まであり、かなり役立ちました。
ありがとうございました。



<コメント>

ありがとうございます!

ゲーコンは、付属していたコラムスの出来も良かったですよね〜。
いまさらながら、ハマりました。

対応表は最近、更新をサボってます。(+_+)\バキッ
今後新しいCLIEにゲーコンが対応していなかったら、
更新頻度がもっと減ってしまうかもしれません〜ごめんね。

記載していいのかどうか判断できなかったので、
少し省略している箇所があります。
そこにもうれしいことばかり書いてあったです。
感謝だゾウ。

いつの日かZodiacで対戦しましょう。(^_^)/




ひらのさん


お祝いの言葉はここに書いてますが、それとは別に、個人的に記憶に残るのは、1999年9月26日の記事です。

当時やっていたPalmTipsの更新停止のとき、はずかしいくらいいいことを書いて頂いた記事です。
本当にうれしかったのを憶えています。

当時は学生、今は社会人・父親と立場は変わり、palmコミュニティーの為にできることも変わりましたが、今でもこうやって楽しくサイトの更新や関連ページのブラウズ、そしてもちろん、楽しくpalmを使っていることができるのは、NASさんをはじめとした熱心なユーザーがコミュニティーを盛上げているからではないかと確信しています。

僕は大阪を離れ、残念ながら、お会いする機会はますます減ってしまうでしょうが、これからも、大阪 PalmIII楽しませて頂きます。

5年間お疲れ様でした。
そして、これからもがんばってください!



<コメント>

昔からひらのさんを知っている人なら「あ、本物だ!」と
思えるほどの非常に丁寧な文章でした。

ひらのさんは、昔、「PalmTips」などのサイトを運営しておられました。

今はサイトはありませんが、Way Back Machineで復元してみた
「PalmTips」のイメージがこれです
あ、うちのサイトの2万アクセスをお祝いしていただいていますね。

氏のサイトの特徴は、質問に丁寧に回答する、という
みんなが一番面倒くさがることをやっている点でした。

はじめは日本語版Palmが無かった頃で、みんながいろいろ
困っていた時代でした。
Hackなどのソフトなども相性問題や日本語化の敷居の高さ
などがあり、いろんな問題が次から次へと出てきて、しかも
個人個人それぞれに環境が違うから再現なども難しく、
みんなが苦労していました。

困った人が最後に相談する場所、それがひらのさんの
サイトだったのです。
私もひらのさんのサイトには何度も助けられてきました。
あのとき、もし質問できるサイトが無くてあきらめていたら・・・
ひらのさんのサイトがあったからPalmユーザーを続けている、
という方も多いのではないでしょうか。

その、ひらのさんが作った新しいサイトが、palm + textなのです。
(お体は大丈夫なのでしょうか・・・心配だゾウ)

そのうちまた会いにいきますので。(^_^)/




kimさん


「これまでの「大阪Palm III」で一番心に残っていること」
といえば、『使うゾウ』KsDatebook,KsToDoのレビューを載せて頂いたこと。

(日付は忘れましたが、たぶん今年に入ってからだったと思います)

まだまだ「新参者」の私としては、「大阪Palm III」さんや「PalmFan」さん等、いわゆる「老舗サイト」で自分のソフトを紹介して頂けるというのが、なによりうれしいわけです。(単純(笑))

自サイトのアクセス解析で最初に「http://pccm.com/op3/tool/add/add_0.html」を見た時は、何となく見覚えのあるURLだと思ったのですがどこだか分からず、ジャンプして表示された画面を見て驚いたのを今でも覚えています。



<コメント>

お次はkimさんでございます。
ありがとうございます。

「KsDatebook」などではお世話になりっぱなしです。
このソフトがあったから、私はゲーム以外に仕事でPalmを
使えるようになりました(←あまり自慢にならん)。

私も初めて「PalmFan」で紹介してもらったときの気持ちを
覚えているので、この感想はよくわかります。

Palmツールカタログは、編集作業を簡略化するために
ソフト作者の了解を取らずに
勝手に記載しているので、申し訳ないです。
(いまのところ、苦情は一件も来ておりませんが・・・)

いつの間にか「大阪PalmIII」はこんなに老舗になっちまいました(笑)。
老舗と呼ばれるのはちょっと恥ずかしいですね。

でも、kimさんのサイト「Palm Island」が老舗に
なるまで応援し続けるゾウ〜。(^-^)

あ、20万アクセスおめでとうございます!




xshunさん


「買うゾウ!」

思い出ということではないのですが、2001年の11月にm100を購入してから買いたいものがあるときにちょこちょこと価格情報を参考にさせていただいております。
フェースプレート安売り情報にしびれたような記憶があります。



<コメント>

xshunさん、ありがとうございます。

そもそも、「大阪Palm III」は大阪のどこのお店でどんなPalm関連の
品を売っているかを整理するところからはじまったサイトです。
Palmを使う人が増えていくと確信した私は、そういう情報が
これから需要が増えていくと考えたのです。
あのときの決断は間違っていませんでした。

私は、お店との無用のトラブルを避けるために、
値段をお店でメモしたりすることは一切していません。
品物と値段を全部暗記していました。
始めた頃から、今でもずっとそうしています。
今だから言えるお話でした。

フェースプレート安売り情報に関して、なぜしびれたのか
この文面ではよくわからないですが、自分が発信した情報で
誰かが何かを感じてくれるって、すごくうれしいですね。
(サイトを作っている方はみんなそうだと思います)




太鉄さん


これはですね〜、やはり「ろばろば vs せりせり」の「ふたりごと」でしょうかね。
確か俺おま上かメールかで、「二人はどういう関係?」とか書いた記憶があります。
俺おま上で見つけられなかったんで、メールかな?
便乗して僕も「勝手にふたりごと」なんて書いてましたね。

いやはや、すっかり懐かしい思い出です。
おかげで過去ログ自分で読み返しちゃって、仕事が進みませんでした。
どうしてくれる!(笑)



<コメント>

ああ、来ましたね太鉄さん、ありがとう。

知らない方のために説明しておくと、その昔、日本Palm界に「ろば」という
動物(か?)がおりまして、「ろばみみ」というサイトをやっておりました。

「ろばみみ」は今でいうPalmwareInfoのようなサイト(かなあ?)で、
毎日大量のソフトリリース&アップデート情報を日本語で提供していました。
それに加えて雑記的なろば氏の生活記録なども書かれておりました。

というわけで「ろばみみ」にも「ひとりごと」があり、「大阪Palm III」にも
「ひとりごと」があったのですが、いつしか相手のひとりごとに対して
自分のひとりごとでコメントするようになり、それを
「ふたりごと」と呼んだのです。

この一見、他の人から見たらどうでもいいような話が、
実は結構人気があったのでした。

「大阪Palm IIIの歴史」を見ると、1999年8月頃
はじまったとされています。
そして、「ろばみみ」が電撃閉鎖する2000年2月まで続きました。

残念ながら「ろばみみ」側が残っていないので、どんなやりとりを
していたのかは「大阪Palm III」側のひとりごとでしか
わからないのですが、今読み返してみると、ろばが何を言っていたか
結構覚えています。

本当に、日本Palm界は惜しい動物をなくしました(死んでない、死んでない)。
しかし、その後のろば氏が別のところで活躍しているのを後で聞き、
うれしかったです。

ろば氏が去ったからこそ、私はPalm界に残ることにしたのかもしれません。
だからこそ大阪Palm IIIは続いているのかもしれません。

太鉄さんには、一番の思い出になっているということで
やはり「ふたりごと」はすごかったのだとあらためて思いました。
一人ではできないことがネット上では二人が集まってできる、
さらに三人、四人と集まってくればもっとすごいことができる。
「ふたりごと」はPalmでつながるということの強さ、素晴らしさを
教えてくれていたのかもしれません。

う〜ん、たしかメールで来たような気がします>「二人はどんな関係?」
実際は会ったこともない二人でしたが、心は強く結ばれておりました。

いやあ、それにしてもうちよりも先に俺おま
休止してしまうとは思いもよりませんでした。
でも、いまだに役立つ記事が多いので、サイト自身を残して
くれているのは助かっています。
(実際、友人からの相談を俺おまの過去ログで解決したことあり)

感謝だゾウ。

これからも過去ログを読みまくって仕事さぼってください。(+_+)\バキッ




たろうさん


…大阪PalmIIIでの思い出といわれても出てこないんですが…(だめじゃん)

関東でのPalm大オフ会の時に
「このネクタイつけるためにスーツで来たんですよ」
といいながらぞうのネクタイをみせる姿とか、
唐子で一緒に餃子食べているときでもかばんからぞうのぬいぐるみが出てくる所とか、
取り出すPalmすべて赤いPalmだったりとか

その「こだわり」を強く持っているNASさんの思い出の方が強いので…
こんな「ぞうの思い出」はだめですか?



<コメント>

たろうさんマサさんの呪いを打ち破って
投稿していただき、ありがとうございます。

そうですか〜こだわってますかね〜私。
結局、どうせやるなら(自分が)楽しいことをやらなきゃ、
という考え方でそうなっているのだと思います。

実際、サイトではあまり愚痴や文句や悲しいことを
書かないようにしているつもりです。
そういうのは読んでいる方も面白くないと思うので。

たろうさんとの思い出はやはり、数人で鎌倉に行ったときでしょうか。
剣買ったときです(笑)。
私自身が元々あまり旅をするやつじゃないので、
たろうさんの行動力はすごいなあと、尊敬しています。

また、どこかでお会いいたしましょう!




小山虎さん


やはり、自分が登場した2003/3/2の[追加]記事です。
Marcel Desailly Pro Soccerについて送ったメールが掲載された時ですね。

このときは掲載されるなんて全く思ってなかったのでかなり驚きましたが、それ以上に、自分が毎日読んでるサイトで掲載されて嬉しかったです。

#でも、実は「NAS芹沢の今日の出来事」の2003/3/2に載ったことの方が嬉しかったりします。何か意外な感じがするので。

まあ、もうちょっとまともな思い出を挙げときましょう。
初めてNASさんをお見かけしたのは、
僕が初めてPUGOに行った日、2000/9/26のことです。
カラクリをレビューするNASさんを目の前で見れて(最前列でした)嬉しかったなあ〜。

レビューの時にコントラストを最低にしてしまって、
「今までで一番難しいゲーム」という名セリフをおっしゃってたのを憶えてます。この時の記事は2000/9/27ですね。

初めて声をおかけしたのは、PUGOの二次会でした。
赤いVisor Edgeを持ってきてらしたときです。
その後、二次会でVisor用のフリップカバーをゲットしたので、酔った勢い(のフリ)で、NASさんに話しかけ、Edgeにフリップカバーをつけさせてもらいました。
あまりにもアンバランスで、隣のマサさんが写真撮ってたなあ。
記事で言うと、2001/3/31ですね。

あ、今気づきましたが、これは「大阪Palm III」じゃなくてNASさんの思い出ですね(^_^;)。

そうだ、「PCCM Hi and Low」の公開は結構驚きました。2001/8/6ですか。
NASさんのゲームへのこだわりはいつも凄いなと思っていますが、まさか自分で作るとは、と思いました。

でも、なんか分かる気がするんですね。その気持ちが。
僕とNASさんは年齢も近いんですが(僕がひとつ下)、この年代のパソコン少年にとってゲームへの強い思い入れは共通することだと思います。
それを今でも維持し、Palmの世界でも続けているのはうらやましい限りです。

さて、この中から一番心に残っている思い出を選ばないといけませんね。
んっと、やっぱり自分の登場した時でお願いします(←おい)。



<コメント>

小山虎さん、ありがとうございます。
いや〜こんなに書いていただいて、ものすごく時間かかってるような
気がして申し訳ないゾウ〜。

赤いVisor Edgeにフリップを付けたのは、ものすごく覚えています。
結局あの薄さのVisorって、Edgeだけで終わってしまいましたねえ。

一時は諸事情によりゲーマーを引退していましたが、
(そのあたりの話はいずれPAG-Jで出てくると思います)
今ではすっかりPalmゲーマーとしてよみがえりました。

小山さんをはじめ、ゲームを愛するみなさんの後押しがあってこそ
だと思っています。
本当にありがとうございます。

「今日の出来事」は現在ほったらかしですが、
また思い出したように突然書くのでチェックよろしく(笑)。




TETUさん


残念ながら、最近(なにせPalmを初めて買ったのが昨年の11月なもので)見始めた人になります。
なので「大阪Palm III」を見て、役にたったページと言うものを書いてみたいと思います。

「PalmVを日本語化するゾウ!」

Palm暦はまだ1年にも満たない私ですが、所有Palmは、Palm m100日本語版が2台、m105日本語版が1台、WorkPad c3(40J)が1台、PalmIIIx英語版が1台、PalmVx英語版1台、CLIE PEG-T600Cが1台と結構な台数があります(どれもこれも古い機種ばかりですが)。

PalmIII英語版とPalmVx英語版はある方からの頂き物で、ついでに使わなくなったJ-OSIIIも頂きました。

日本語版以外のPalmはこの時初めてでしたので、J-OS IIIのインストール(実際は、J-OS IIIのライセンスファイルとJ-OS Vのインストールですが)には、上記の記事が非常に参考になりました。
因みに現在メインで使っているのはCLIEですが、KoiKoiのためにPalmVxを常に携帯し使用時間だけ見ればPalmVxがメイン機種と言っても過言ではない状態です。

あと心に残ったページは、各回のエイプリール企画ページですね。毎回凄いと思います。



<コメント>

TETUさん、ありがとうございます。

「PalmVを日本語化するゾウ!」は、予想外のロングセラーとなり、
今でもみなさんに活用されているようです。

実は「TungstenTを日本語化するゾウ」も作りかけているのですが
途中で止まっています。
(スクリーンショットは撮ったもののその後の作業が全く進んでいない)

時間ができたらまた作業を再開しようと思っています。
現状は、英語版Palmを使う人がまた増えるような状況になってきていると
思うので、日本語化関連はこれからもサポートしていきたいと思っています。

TETUさんの文面からは、非常に楽しくPalmを使われているなというのが
伝わってきて、こちらもうれしくなりました。




バーディスさん


一番心に残っている話というと、やはり毎年1月17日の
「震災当日のNAS芹沢の日記」へのリンクです。
確かパーム航空からのリンクで知ったのだと記憶しています。
さっき調べてみたら、ありました。

http://palm.org/f_pal/f_pal_timetable/pal_tt_old_34.html

の2000年1月18日(火曜日) の記事だったと思います。

私の場合、幸いにもあの震災で被害にあった知り合いは皆無で、京都に住んでいながら何か遠い国の出来事を見ているような感覚でした。
不謹慎な話ですが、当日の夜、会社の同僚と王将に飯を食いにいってて、店のテレビではじめて映像で神戸の街の様子を見て、ビールを片手に「おー、燃えてる燃えてる」などと口走っていたりしました。

その後の報道でただ事ではない災害だということを知りましたが、やっぱり心の底では「人事(ひとごと)」という気が消えませんでした。
しかし、会ったこともないNAS芹沢さんの当時の日記を見て、不思議なことにそれまでバーチャルな感覚だった震災が、妙にリアルに感じられたのを覚えています。

それから毎年、1月17日になるたび、あの日記を見るようにしています。
被害に遭われた方の追悼という意識は正直言って薄いですが、被害に遭われた方の為にも、同じような災害があったときに少しでも被害を少なくする準備はしなくてはならないと、毎年思い起こさせてくれます。

震災は確かに不幸な出来事でしたが、唯一の救いは、それが人災、というか、もっと言うと、どこかの誰かが意識的に起こした災いではなく、天災であったことだと思います。親しい人が天災や人災で亡くなった経験の無い私は、幸せなんだなぁと思います。



<コメント>

バーディスさん、ありがとうございます。

そうですか〜1月17日ですか〜。
今年(2003年)は載せることを忘れそうになるくらいでした。
自分の中でやっとあの記憶が薄れ始めようとしているんだな、
と感じました。

幸い、私の身内では亡くなったり、怪我をした方はいなかったのですが、
まわりは本当にひどい状態で、うちの家の近くでも死者が出ていたりしました。

しかし、震災にあってみてわかったのは、結局あってみないと
このすごさはわからない、ということです。
だからこそ、災害は怖いのだなとあらためて思いました。
目に見える傷だけでなく、心の傷などいろんな問題があることを
震災後の公開講座などで学びました。
起きるのは一瞬なので、その後のことは遭った人しかわからないですね。

少しでもあのときの状況を知ってもらえたら、と思って書いたテキストに
対して、このように反応いただけるのは、ありがたいです。




Licaさん


私にとって「大阪PalmIII」は、あまりに偉大なサイトです。
「PalmIII」という名前からして、Licaの知らない機種です。
(最初にサイト名を見たとき、なんでPalm「III」なのか全然わからなかったのはナイショ)
だから、そんな昔?からサイト運営をしているNAS芹沢さんは、Licaにとっては偉大なPalmユーザー。

そんなNASさんと「大阪PalmIII」の思い出、いろいろあります。
そうだなぁ、日本橋の価格調査、「やってもいいんだ」と思ったことかな。
そうやって地道に歩いて調べて報告する、そのスタイルってアリなんだ、って。
Licaの中では、それがスターバックスコーヒーJFileリストにつながり、イケイバ掲示板につながっていったのです。
Licaは途中でどっちもダメになったけど、続けているNASさんはやっぱり偉大だ。

オフラインでの印象の方が強いんだけどね。
わざわざイケイバまで来てくれたこと、一緒にケーキを食べれる仲になれたこと。
一番の思い出は、PUGO定例会での初代CLIEのデモです。
輝度を落として戻せなくなったとき。
「今までで一番難しいゲームだったゾウ」・・・未だにあの声は耳にこびりついています〜。



<コメント>

Lica姐、Kohyanさんの爆弾発言は見て見ぬふりをしてね。
(マジで騙されてそう思ってたみたいですよ)

さて、最近はWebの更新も簡単にできる時代がやってきましたが、
やはりサイトは個性を出してなんぼだと思うのです。

そこで、うちのサイトは最初「足で稼ぐ」サイトを目指しました。
毎週電気街を巡り、情報を集めました。
そうすることで他のサイトには載っていない情報が載る、
それを「大阪Palm III」の個性にしようと思ったわけです。

もっと簡単に言えば、単にニュースサイトをリンクするだけの
ようなサイトは作りたくなかった、ということです。

Lica姐のサイトはみんなの心に生き続けています。
私の心の中には「ろばみみ」「PalmTips」なども含め、いろんな
サイトが今もなお生き続けているのです。
それが「大阪Palm III」を更新する力にもなっています。

いや、それだけではないですね。
スターバックスコーヒーJFileリストは今でもPalmOSLove
「データベース」コーナーに引き継がれ、脈々と生きています。
決してダメになったわけではないのです。

初代CLIEのデモは、そんなに印象強かったのでしょうか。
みんな書いてきますねえ。
後日、ハードボタン上下でコントラストを調節できるのを
知ったときはみんなで脱力しましたっけ。

あ、またPalm Cake User Group in Japan(仮称)
お会いいたしましょう。
会員のみなさんは、最近Lica姐が来ないので寂しがっていますよ。




Pal Macさん


 この五年間の“おもひで”といえば、あの夜の事しかありません。
初めてPUGOを襲撃した夜のことです。
少しは覚悟をしておりました。
そうですとも「あの」PUGOを襲撃するのです。
余程変な人ばかりだろうと…。

それは暑い夏の晩のことで、私は内心「はやる心」を抑えるのに精一杯でした。
秘密兵器を山程抱え、おまけに駄目押しの『あれ』まで持って行ったのですから…。

しかし当方のこんな目論見はその場で初めてお会いしたNAS芹沢氏によって見事打ち砕かれたのです。
事前の想像に反してそこに座っていらしたNAS芹沢氏は、紅顔の美少年!(ちょっと誉め過ぎ!)。
そして手にしていたのは、幻の名器、
ジョグダイヤルつきのTRGPro

これで完全に圧倒された小生は、デビューしたてのリカ姐に、これまた伝説と化した『マグマパーム』を見せつけられて、完璧にグロッキー。
後の再起を誓うことになったのでした。

(この話は、続く、かも??)



<コメント>

Pal Macさん、ありがとうございます。

誉めてもNX70Vはあげませんよ。(+_+)\バキッ

あの日は、面白かったですねえ。
Pal Macさんが持ち込んだビデオの映像に、
PUGOメンバー全員悶絶していました。
(↑この表現で正しいのだろうか?)

どんな内容だったのかは言えないので、知りたい人は
直接NAS芹沢に聞いてください。

TRGproはちょうど完成したところで、まだほとんどの
人が知らない状態だったときにPal Mac氏迎撃のために
使われました。
相当インパクトがあったと思います。

一世を風靡した「マグマパーム」も懐かしいですね〜。

この日があったからこそ、後にPUGOがPal Mac氏の協力を得て
iWeek 2000青空文庫のCD-ROMを配布することができたりしたんです。

ありがとうございました。
今度そちらにも遊びに行くのでおごってください。(+_+)\バキッ

っていうか、この話続くんかいっ>Pal Macさん




あおしまさん


えと、NAS芹沢さんと初めてお会いしたのは、いつだろうか?
何かの大きいOFFだったと思う。全然面識ない状態で、横を通った時であった。
すごく生真面目っぽい顔をしながら、「xxだゾウ」なんて言っていたので、誰だろうと思ったのだった。
NASさんであった。
へー、本当にゾウって語尾につけるんだ、なんて無闇に感動した覚えがある。

次はたぶん水戸であんこうを食べた時であった。
寒い中、店の外で待っている時など、問わず語りに「大阪PalmIII」の秘密、みたいな物を語っていた。

「(紹介しているゲームは)やってますよう。全部。」

「○○系は好きだけど、xx系は苦手。だからxx系のゲームはだいたい(スクリーンショットが)1面の画面」

とか。

そして鮟鱇鍋のときは、低調な始動の様に見えてあとでノリノリでしたね。
佳境の所でHelmesのケースを投入して、参加者を唖然とさせたり。
皆さんに見てもらう為に回したのはいいが、参加者の女性がにぎったまま放さなかったり(しかも目がマジ)とか、「まいったなぁ〜、返して欲しいんだけどなあ。」としきりに困っていたのが印象的でした。

その後は、幾つか大きなOFFで拝見致しましたが、いつも
「俺はまじめだ....ゾウ(ニヤリ)」
みたいな、まじめとおもしろをヒョイヒョイ渡り歩くような雰囲気を醸し出していました。今度またどこかでお会いしましょう。



<コメント>

最後は、滑り込みで投稿いただいたあおしまさんです。
ありがとうございます。

仕事の関係で千葉にいたときは、Joe-Palmのみなさんに
大変お世話になりました。

水戸であんこうを食べた時Joe-Palm
仙台のSEN-PUGの合同オフということで、
大勢の方が集まり楽しいイベントになりました。

個人的には、みんなで水戸に泊まってJoe-Palm元代表が
Visorのマッサージモジュールを風呂上りに使っていた

ことを一番よく覚えています(笑)。

Palmがあれば、日本中、いや世界中どこへ行っても
いろんな方が迎えてくれるし、寂しくないな、と思いました。

ああ、またJoe-Palmに行きたくなってきたなあ。





「ゾウの思い出」いかがでしたか?

いろんな観点から「思い出」をいただいて、びっくりしました。
偏るかなと思ったのですが、意外にも(?)
みなさん様々に「思い出」を語っていただいてますね〜。

貴重なお時間を使って投稿いただき感謝だゾウ。


みなさんがいるかぎり、「大阪Palm III」は続くでしょう。

続くはずです。

これからも、数々の思い出を作りながら・・・。




2003.09.24 NAS芹沢





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